知識の創造とは何か

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けあの学校

知識の創造ときくと、とても難しそうな気がするだろう。確かに「知識」も「創造」も堅苦しい言葉だろう。しかし、知識の創造はそれほど難しいコンセプトではない。知識とは、情報やデータといったものを含んでいるが、もっと広い概念で、必ずしも表記できないようなあいまいな兆候や現象をも含めたものである。ある人は「信念となる情報やデータ」であるというかもしれない。さらに、世界そのものが知識であるという人もいるだろう。広義に言えば、世界そのものが知識であるともいえる。狭義に言えば、「信念となるべき情報やデータ」であるといえるだろう。

はっきりといえるのは、「知識とは、書き表された、体系的な情報の集合体ではない」ということである。このような「書き表された体系的な情報の集合体」は知識の一場面であるが、これらがすべての知識であるということではない。

知識には、暗黙的な、まだ解き明かされていないような感覚や兆候、現象といったものがあり、それは暗黙知といわれる。形式知とは、体系化されたり、仕組みが解明されたもので、何かしらの表現ができるものをいう。この2つの知識は、知識を構成する主だったものである。この知識を構成する暗黙知と形式を考えた場合、量的には暗黙知が圧倒的に多い。しかし、一般的に了解されている知識の定義は、形式知であるといえる。知識のほとんどが暗黙知であるにもかかわらず、形式知が知識そのものだと解されているのである。なぜなら、暗黙知は知識として体系化されていないものであるからである。

見方によっては、知識そのものではなく、知識の源であると理解されるかもしない。確かに、体系性を持っていないのであるから、知識(形式知)の源であるといえる。しかし、一般的には、知識の源は知識ではないと理解されているので、知識=形式知だと理解されているのは致し方ないだろう。

しかし、あくまで言いたいことは、知識とは暗黙知と形式知で成り立つものであり、暗黙知こそ知識のほとんどを構成している知識なのだということを理解してもらいたい。



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